傾向はあるけど診断はつかない

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発達障害の有無を調べるために、WAIS-ⅳと呼ばれる心理検査を受けた。先日、その結果の説明を受けに精神科に行ってきた。

まず、検査を担当してくれた臨床心理士の方からコメントがあった。私の結果は割と思った通りで、特に新しい発見はなかったように思う。想定通りに、言語理解が一番高く、処理速度が一番低い。その差は26。差が15以上だと「大きい」とみなすようなので、まあ私もそれなりには能力に凸凹を有するらしい。とはいえ、どの能力も大体平均。平均をはみ出すような数字を出したのは言語理解だけだった。それもたいして高くなかった。

その後には、WAISとともに受けたADHDASDの自覚症状を聞く質問紙の結果と、バウムテストと呼ばれる木を書く検査の結果の説明があった。ADHDの症状の自覚はほとんどないが、ASDの症状の自覚は結構あること。また、二次障害の可能性を示唆されたが、これはそもそも鬱と不安障害で通院中なので当たり前だろう。バウムテストの結果は、いつも私が周りから言われる私の印象まんまだった。単なる木のお絵描きから性格が読み取れるのは、なかなか面白いな、などと思いながら聞いていた。

 

この精神科は私のかかりつけなので、その後は主治医の診察が待っていた。そこで医者から言われたことは、「ADHDではないこと。能力に差があるので、ストレスを感じやすい傾向があること。ASDの傾向はあるが、障害者手帳などの対象にはならない」医者は私のことを、発達障害寄りとも健常寄りとも言わなかったので、こういう表現が正しいのかは分からないけれど、私はおそらく発達障害のグレーゾーンってやつなんだろう。それが世の中に少なくない割合で存在するのは知っていたし、自分でも疑っていたから、驚きはしなかった。

以前、発達障害のグレーゾーンの人々は支援の対象にもならず、かといって定型発達の人ほどうまく生きることもできず、非常に生きづらさを感じる、という記事を見たことがある。支援を求めるために病院を渡り歩き診断を求める人の存在もそこで知った。私も今回の結果を受けて、その気持ちも分からなくはないな、と思った。「傾向はあるけど診断はつかない」ってどういう意味?と。「結局、私はシロなのクロなの?」と。まあでも、誰も分からないんだろう。そこは今の医学の限界なのかもしれない。

最後に、私はグレーな人間の一人として、ひとつの場所に留まろう、とすることを諦めることにした。きっと私みたいな人間は、シロの人のように、どこにでも馴染むような器用な生き方はできないのだろう。そうしたら、自分が生きやすい場所を探し求めるしかない。まあ、ある程度は自分から馴染む努力も必要だけど。不器用な人間は不器用なりに工夫して生きていかなければならないのだしね。

 

追記

何回か後の定期通院で、発達障害じゃないならコミュニケーション能力は自分の努力次第で改善可能なのか、と疑問を投げかけたところ、「脳からして難しい、というわけではないのである程度は可能だろう」との答えを得た。ということは、私はもしかしたらシロなのか?あんまり診断名にこだわるのも良くないと思ったので、その後は詳しく聞いてないけれど…