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音痴なのに、強豪校の合唱部に所属していた話

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実際は制服だったけれど、こんな感じで合唱してました

私は、中学の間、全国レベルの合唱部に所属していました(私の母校は、合唱をしている人なら大半が知っていると思われる学校です)ちなみに、私の所属していた団体は女声合唱ですが、混声合唱の方が好みです。Nコン2014の、鶴川第二中学校の自由曲「君は地球が回転する音を聞いたことがあるか」を聞いた時の衝撃は忘れられません。あんな引き付けられた演奏は初めてでした。

 

  

音痴について

私は、幼稚園からヤマハ音楽教室でエレクトーンを習い、小学校に上がってからは小5の冬まで、ピアノの個人レッスンを受けていました。なので、幼少期から音楽に触れていたし、ある程度なら楽譜も読めるし、なんならピアノのレッスンの中でソルフェージュの時間もありました。それなのに音痴なのです。どれくらい音痴かというと、入部前は歌詞入り音源から明らかに離れた音を歌ってしまうくらいでした。入部後は、伴奏のみやアカペラでは無理だけど、歌詞入り音源には合わせられる程度には改善されました。合唱部にいたときに、周りの部員たちにどうしたら音痴が治るのか、どのようにして音をとるのか散々聞きましたが、音が取れる人って「最初から普通に取れていたから、意識して音を取ったことがない」っていうのですよね…。(羨ましい…!)結局、改善につながるようなアドバイスは貰えませんでした。親(音痴ではない)や合唱部の部員によると、音階で歌うと少しマシになるようなので、頭の中で認識している音と歌詞を結びつけるのが難しいのだと思います。(ドレミの歌を、「ドレミドミドミ」と発音すれば音が取れるが、「ドはドーナッツのド」と歌詞をつけると、音程がずれてしまう)歌うことは大好きなので、家でもよく歌を歌っていますが、親には「そんな歌は無い」とよく言われます。完全なる下手の横好きのため、お金に余裕が出来たらボイストレーニングにでも行くつもりです。

 

音痴なのに入部することとなったいきさつ 

中学1年の7月、運動部を人間関係のもつれで退部しようとしていた私は、次の部活を探していました。私の希望は、先輩が優しい部活。今もそうですが、年上に恐怖感があるので、先輩が全ての権力を握っている部活に所属するのは無理だったのです。そんな中、出席番号順で前に座っていた子も後ろに座っていた子も合唱部に所属していたので、合唱部について聞いてみたところ、「楽しいし、先輩も親切で優しいよ」と言われました。音痴なのは自覚していたものの、小さいころから歌を歌うことが大好きな私は、すぐ合唱部の顧問の先生(音楽の授業の先生でした)に入部を打診しに行きました。私の学年は、入部者が例年に比べ少なかったこともあり、すぐに入部が許可されました(たぶん、これ以前に音楽のテストがあって、この先生に音痴がばれていたら入部を断られていたのではないか、と思います)私の学校は、入部時に全部員の前で課題曲を歌って、その評価と本人の希望を鑑みてパートを決める伝統なのですが、途中入部の私はカット。定員割れしているアルトかメゾかを選ぶことになりました。当時、知り合いが一人もいなかったメゾを選ぶことは無く、消去法的にアルトを選択。この選択は今振り返っても悪いものでは無かったと思います。

 

総括・メリット

1.普通ならできない経験がたくさんできる

全国大会の大舞台で演奏すること(全日本合唱コンクールなら、全国の会場で歌えます)、テレビに出演すること、コンサートのゲストとして歌うこと、どれもあの部活に所属していなければできない体験でした。

2.合唱というもののすばらしさに気づけた

一つ目は強豪ならではかもしれませんが、これはどの合唱部でも得られる経験だと思います。自分が中にいたときには気づかなかったのですが、部活を退部してから合唱部の定期演奏会を聞きに行った時に、「ああ、本当に合唱のハーモニーってきれいだな」としみじみ思いました。いろんなコンクールに足を運び、様々な団体の演奏を聞くうちに、ハーモニーの美しさを感じ取れる感受性や耳が育っていたようです。今は不安障害がひどいのでテレビやYouTubeで合唱を聞くのが精一杯ですが、症状が落ち着いたら頑張ってはがきを当てて、Nコンの全国大会を聞きに行きたいと思っています。一番耳なじみのある中学生の合唱はもちろん、大人っぽい高校生の合唱、変声期前の澄んだ小学生の合唱、どれもそれぞれに魅力的です。

 

総括・デメリット

1.部活にかなりの時間がとられた

平日は授業終了後5時まで、土曜は授業終了後1時から5時まで、日曜は午前か午後かどちらか。コンクール前や演奏会前で切羽詰まると、一日中。完全なオフは、定期テスト一週間前の部活禁止期間(ただ、これもコンクールと被ると練習になる)、月曜日(これも消えがちでした)、お盆休みと年末年始でそれぞれ10日間くらいという感じでした。7月から10月いっぱいはコンクールシーズンでしたし、そのあとも12月から2月にもぽつぽつとコンクール、3月にはその年の集大成の定期演奏会、それ以外にも地域のイベント出演あり、という感じだったので、一年中何かしらあり忙しかったです。帰宅部になった高校生以後、長期休みの長さに戸惑いました。

2.技術が伴わないだけに辛いこともあった

私は、3年生の時にNコン(人数制限があります)で自由曲をただ一人歌うことができず、舞台袖に引っ込むことになりました。1年生が課題曲・自由曲通しで舞台に立つ中、舞台袖でただ一人の3年生として聞く自由曲。これは辛かったです。(課題曲も年功序列のお情け出演で、実力順なら出られなかったと思います)あとは、私はNコンの音源が発表されるとすぐにそれを繰り返し聞いて音を取る練習をしていたのですが、部活で音取りが始まるとあっという間にみんな音が取れるようになって一人取り残されます。そのため、皆が表現力を磨くための自主練をしている時間に、私だけ同級生とマンツーマンで音を取る練習をしていました。また、各パートから一人ずつ先生が選んでグループを作るときも下手すぎて余ってしまい、後輩と一緒に練習することもありました。一人ずつ歌う機会も多かったので、私の音痴は部員全員が知っていたことだったと思います。このように、歌の技術面以前に音が取れない欠陥を抱えていた私は、日々の部活で辛い思いをすることも度々ありました。

 

振り返って思うこと

私の総括にデメリットが少ないのは、思い出補正という面もありますが、何より部活の同輩に悪い人がいなかった(もちろん、気が合わない人はいましたが)というのが大きいのだと思います。合唱はチームでやるものなので、私みたいな不純物がいると美しいハーモニーを乱してしまうのは明らかなのに、私が音痴で部に迷惑をかけるから、と明らかに除外してくる人はいませんでした。特に、学年代表(歌の技術面以外での学年の引率者)と学生指揮(歌の技術面での学年の引率者)は、中3では部のまとめ役になるだけに、重要な人です。私の学年は、この二人が良い人でした。学年代表の子は、いろいろ気遣いができる子で、今でも本当にすごい人だったな、と思います。一学年上の学年代表の先輩のように際立ったカリスマ性があったわけではないものの、包み込み導いてくれるタイプの人でした。学生指揮の子は、顧問の先生にも一目置かれるほどの歌声の子でしたが、決して驕ることなく、優しく接してくれました。この子は音楽大学に進みましたが、今も素晴らしい声を響かせていることと思います。

本当は、先輩後輩との付き合い方を部活動で学ばなきゃいけないのかもしれませんが、私の場合、これはうまく学べませんでした。先輩方には嫌われていた実感があるし、後輩とは付き合いが浅かったからです。私以外の途中退部組の同輩は、部活を辞めてからも後輩と連絡を取っていたので、やはり私は関係をうまく築けなかったのだと思います。

私は中学生活の終わりに体調を崩し、そこから自分でも理由が分からない不登校になり、そのまま部活動を辞めてしまいました。今でも、音痴な私が、全国大会に出て入賞するような合唱部の部員であったことは許されることだったのかどうか疑問に思うことがあります。合唱部を目当てに私の母校を目指す子もいるくらいだからです。でも、部の迷惑を考えなければ、メリットの方が大きかったように思います。不安障害が悪化した今では得ることの難しい、貴重な思い出になりました。いつか音痴じゃなくなる日が来たら、今度は気持ちよく大声で合唱したいです。

 

2022.4.21追記

最近、母校の後輩が歌手のバックコーラスとしてテレビ出演しているのを見かけました。私が部員だった頃より、母校は強豪校になっていて、それでいて立地も良いのでテレビに呼ばれるのでしょう。今だったら入部できなかったかもな…とか、もし在学していたとしても、人数指定あったら出れてないかもな…とか合唱を聞きながら考えました。テレビで母校の制服を見かけると、とても複雑な気分になる今日この頃です。