研究室になじめない

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予め述べておくと、研究室の同期・先輩・先生に何か非があるわけではない。単に、私の環境に馴染む力が弱いのが悪い。

 

私はこの研究室で卒業論文を仕上げ、修士論文まで提出しなければならない。例え居心地が悪かろうと、3年の日々を過ごさなければならないのだ。だから、この広大なネットの海に少し愚痴を流すことを許してほしい。

 

私は幼い頃から、集団に所属する、ということがうまくできなかった。だから、研究室に馴染めないのは、苦痛ではあるけれど「ああ、またか」という気分でもあるのだ。

まず思い出されるのは、小さい頃によくやる「花いちもんめ」だ。あれって、お互いの組が欲しい子を順番に取っていくので、結構人気が如実に出ると思う。私は、参加すると最後まで「欲しい」といってもらえずいつも一人残っていた。

小学校に上がってからも、よくトラブルを起こしていた。3.4年生くらいから発生するグループには所属できなかったが、当時は○○長みたいなのをやりがちだったので、「リーダーとは嫌われるものだ」みたいな風に考えていた気がする。

中学に上がって、最初の半年ほどで大きなトラブルを起こし、グループに所属できなくなった。クラス内で孤立し、授業で「2~3人の組を作ってください」という指示でぼっちになったくらいだ。これは、今思い返してみても笑える。2人組ならまだしも、2or3人組の指示でどこにも入れてもらえず1人になるとは。なかなかない経験では?その後、いろいろ試行錯誤した結果、私は渡り鳥スタイルに落ち着いた。

上記のように、グループに時々訪問する。所属はしない。私のいた学校のコースでは、ぼっちでいる子も少数ながらいたしグループの壁もそんなに厚くなかったので、成りたったスタイルだったかもしれない。宿泊旅行の班決めももちろん余るが、同じく余った子や、人数が足りないグループに混ぜてもらった。渡り鳥してたこともあって、それなりに話せる子がクラスに散らばっていたので、特に問題なく過ごせた。とはいえ、親密な関係は築けていないので、〇人グループと決まってない時はあぶれた(10人いて、5人グループ指定なら入れてもらえる。ただ、好きな人数でグループ組んで、だと余る)。なので、観光地を1人でキャリーケース引っ張りながら歩いたこともあった。これは流石に惨めだった。

 

まあ、こんな感じで小・中・高と人間関係には何かしらの問題を抱えて過ごしてきた。大学に関しては、渡り鳥スタイルを許容してくれる雰囲気ではないので、基本1人で過ごしてきた。授業で一緒になれば話す子が2人、その程度だ(つまり、研究室に所属した今は会わないので話さない)。

 

この人と関係を築く力の弱さは、ASDのせいにして良いだろうか。それとも、単なる自分の人格の問題だろうか。おそらく後者なんだろうとは思うものの、何が悪いか分からないので、治しようがない。

 

前振りが長くなってしまったが、ここから本題に入る。研究室の女子同期は3人。彼女たちは仮配属される前から知り合いだったらしく、お互い親しげに下の名前で呼び合っている(ちなみに、必要があって私に話しかける時は、seikimatsuさん、と言ってくる)。男子同期は6人いる。彼らは、仮配属される前から知り合いだったもの、そうではないもの、と混じっているようだが、気づいたら仲良くなっていた。みんなそれぞれ、下の名前で呼んだりあだ名で呼んだりしている。そんなんなので、知り合いの中に一人入れられてしまった、といった状況になっている。「休学していたからでは?」と思うかもしれないが、仮配属の頃から孤立していたので、たぶん休学は関係ない。同期に話しかけて無視されるわけではないが、雑談をすることはできないし、複数人で盛り上がっているところに話しかけるのはより難しい。そんなわけで、すこぶる居心地が悪い。研究室に人がいない時に在室するのは全然かまわないのだけど、がやがやしてきた時に留まらなきゃいけないのが辛い(そういう時は、感覚過敏も増してしまうので、余計にしんどい)。一応、研究室にはそれなりの頻度でいかなきゃいけないことになっているし、私は院進学希望者なのでそれを無視することもできず顔を出しているが、行くたびに結構な疲労をためて帰っている。研究をしたい、という気持ちと正直精神に負担が重い、という事実がせめぎあっている状態だ。

また、研究室の先生は所属している学生を下の名前で呼んでいる。ただ、私のことはハンドサインで示してくる。おそらく、先生も私がseikimatsuだということは認識していると思う。だけど、booということまでは覚えていないのか、それとも覚えていても呼び辛いのか。もしかしたら、同期のことは下の名前で呼んでいるのに、私だけseikimatsuさんと呼ぶわけにはいかないのかもしれない。個人的には、一人だけ距離感のある苗字呼びだとしても、個人名を呼んでくれた方が分かりやすいのだけど。同期と仲良くなれない分、先生とは関係を築いておきたい、と考えていたがなかなか難しいかもしれない。卒業論文を提出するころには、名前を呼んでもらえているだろうか。

 

いうまでもないが、先輩と雑談なぞしていない。先輩恐怖症を克服し、研究上必要な質問はできるようになったけど。たぶん、研究室で関係を築く能力というのは、今後社会人になった時にも必要な能力なのだと思う。(目上の人に可愛がられる能力、同僚とある程度親密になり円満な会話をする能力)これがうまくいっていない、ということは、きっと社会に出たときにも同じようになるのだろう。だから、この状況でも耐える練習として我慢する必要がある。そう考えて、乗り切ろうと思う。

 

追記

今日も非常に辛い時間を過ごしてきた。けど、自分の努力不足を、ASDのせいにする、という何とも恥ずかしい行為をしてしまった。障害者手帳を持っているわけでもないのに、ASDのせいにするなんて…これこそ、精神的問題に甘えている最たる人間ではないか。そして、それを精神科医に披露してしまい、なおさらしんどい(医者に、そのタイプの孤立は発達由来じゃないよ、と言われた)。「研究室に馴染めないのは、馴染もうとする努力不足!」これを胸に刻まなければならない。人と馴染む努力をしなければならない。孤立がしんどい、ということを正面から認め、研究室のメンバーとして認めてもらわなければならない。じゃないと、3年弱やっていけない。陽キャとまではいかなくても、普通に人と仲良くなれる程度にはならないと。このままじゃ、「研究室に馴染めなくて卒業できませんでした」というクズ人間になってしまう。