中学受験体験記2~中学受験準備中~

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Nの座席は二人掛けだったので、本当にこんな感じ


学校生活

学校には、毎日休まずに登校した。今も昔も人間関係を築くのが下手なため、仲良いと思っていた友達に突如振られてボッチになったり、馬が合わない子といさかいを起こしたりもしたが、何より学校が好きだった。当時は目立つことが大好きだったため、自分が目立てそうなものは全部やった。運動会の応援団長、学芸会の主役、縦割り遠足での代表あいさつ…。たぶん、中学受験だけを考えるならこんな余計なことはやらない方が良いのだと思うし、当時もそれは分かっていた。ただ、こういうことを色々やっていると、担任の先生が誉めてくれた。それが何より嬉しかったのだと思う。6年生の時の担任の先生は、全児童と「マイノート」という名の交換日記をしていた。そこには、たくさんの私を肯定する言葉が書かれていた。悪事を報告したときも、その報告したという行為を肯定してくれた。一人一人にあれだけの返信を書くのがどれほど大変なのか、想像もつかない。現物は引っ越す際に捨ててしまったが、今も心の中には先生のくれた言葉が残っている。また、この先生は6年生が始まるときに中学受験組(東京の郊外なので、クラスの10%程度)を集めて話をしてくれた。「みんなが中学受験に挑むことは本当にすごいことだと思うし、必要な協力は惜しまない。ただし、中学受験をしていない子がみんなより勉強ができなくてもそれは当然のことなのだから、馬鹿にしたりしないこと。そういう時は、みんなが先生になって教えてあげて欲しい」と。実際に、宿題を早めに配ってくれて学校にいる間に終わるようにしてくれた。もちろん、この先生にも悪い面もあったし、担任の先生に恵まれない場合もあると思う。それでも、中学受験のために小学校生活を捨てるのではなく、充実した小学校生活も大切だな、と感じる。実際に、塾でも「入試前に長々と小学校を休むのは辞めろ」とお達しがあった。私は、直前3日間だけインフルエンザが学校で流行っていたため欠席した。ちなみに、これはたまたまだろうけど、私の周りでは入試前に欠席した子は皆失敗し、通常登校していた子は成功した。生活リズムを乱さないことの大切さを知った。

 

家庭内の生活

家庭内は、戦争と言ってよい状態だったと思う。中学受験は、一般の小学校で習う内容よりもはるかに高いレベルのことを学習する。そのうえ、私が入塾したときにはそのすべてのカリキュラムが終わり、演習に入る直前だった。当然、私は全く分からない。塾に拘束される時間も長いうえ、それだけでなく多くの自習時間が必要になる。そのため、遅くとも毎日10時半に寝ていた私の就寝時間は12時になり、数年間続けた習い事は辞めた。毎週末互いの家を行き来し遊ぶのが恒例だった幼馴染とも遊ぶ時間がなくなった。家では、中学受験経験者の父がほぼ付きっ切りで私の勉強を見ることとなった。これが多分よくなかった。とはいえ、我が家に個別指導や家庭教師を雇う余裕はなかったと思うので致し方ないけれど。私は非常に我が強く、親に言われても、その内容を納得できない限りそれに従うことはできない子だった。また、父は、“子は親に口答えなど許されず、親が言ったことは絶対である”との考え方で、しかも自分は正しいという思いも強かった。当然、頻繁に(ひどい時期は毎日)衝突した。しかも、一回衝突すると平気で数時間その状態が続く。激しい言葉で私を非難し、体罰をいとわない父と、それでも自分を曲げず大声で泣き叫ぶ私。外に出されることはしょっちゅうだったし、塾のテキストを破られたこともあった。数年前に、中学受験が原因の殺人事件があったが、そのような事件が起きても何も不思議に思わない程度には激しかった。たいてい衝突が起きるのは深夜だったので、本当に周りには迷惑だったと思う。当時住んでいた集合住宅からは引っ越したが、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。また、勉強をみていたわけではない母にも、負担はあった。塾にもっていくお弁当作りのためにパートのお昼休みに一時帰宅したり、多額の費用をしょっちゅう塾に振り込んだり。始まりが遅かっただけに志望校選択も余裕がなく、毎週末のように学校説明会に行く必要があり、休日に休みが取れなくなったりもした。家庭内の雰囲気が悪くなっていく中で、もともと中学受験反対派の母は「いい中学に行けば、子どもの将来が開けるらしい」と自分を納得させていたらしい。

 

学習状況

そんな状態だったが、成績はだんだん上がっていった。新しいことをたくさん学べる塾の授業は楽しかったし、勉強することに嫌悪感はあまりなかった。入塾時、クラスでビリの席に座っていた私が、数か月後にはクラスの成績上位者の席に座るようになり、クラスで一番として表彰を受けるようになった。そうして、6月には校舎の最上位クラスに上がることとなった。このクラスは特別で、テストの選択問題も基礎から応用に変わるし、授業で取り扱う問題の難易度も大きく変化する。志望校のレベルも高く、最上位クラスの所属を目標にしていたので、すぐにクラス移動を決意したが、今考えるとこの決断が正しかったとは思えない。たぶん真ん中のクラスの最上位をキープした方が、基礎の抜けもなく、過去問対策をやる余裕もでき、最終的にはより偏差値の高い中学校に入れていたのではないか、と思う。移動後、私は、最上位クラスでは下位層から抜け出せなかった。国語と社会は、クラスで一番になることすらあったが、算数と理科では常にクラスの底辺だった。偏差値では20程度差があり、理系科目の偏差値を上げるために努力すると、今度は文系科目の偏差値が下がってしまう。どちらの勉強にも手を抜かずにやるには、あまりに時間が足りなかった。秋には志望校を最難関A校から難関B校に変えた。しかも、その難関B校もチャレンジ受験とすることが決まり、本命校は実力相応C校にした。日曜日に行われる志望校別対策授業も、A校クラスからC校のクラスに移った。C校のクラスでは、上位の方だった。入試直前の冬の模試では、算数の偏差値も上がって、過去最高を記録した。おそらく、塾側もC校には合格できると見込んでいたのではないか。