学歴コンプレックス

 

このブログの他の記事をご覧の方は知っていると思うが、私は学歴コンプレックスを抱えながら生きている。

 

まず、最初は中学受験。私は5年生の秋まで、私立中学なんて全く未知の世界で、ものすごいお金持ちが行くところだと考えていた。けれど、私立中学出身の父の影響で中学受験界に飛び込むことになった。開始が遅かったので、学校選びの基準が「偏差値」と「大学進学実績」だけだった。反・中学受験の母も、高偏差値校出身の父も、どちらもそうだった。私も、学校の価値は偏差値表の順に決まると思っていた。迎えた6年生の2月上旬、私が受かったのは行くことなんか考えもしなかった滑り止め校だった。偏差値表の下の方にある学校の中の一つ。これが、最初の学歴コンプレックスになった。

 

中学に入学したばかりの頃、担任の先生が「俺も中学受験に失敗した。滑り止めの偏差値が高くない学校で6年間過ごした。けれど、大学受験ではKO大学に入れた。だから、ここにいる中学受験失敗組も6年後を見据え腐らず頑張れ」的なことを言っていた。それを聞いて、私も頑張ろうと思った。6年後、良い大学を出ればこの失敗もチャラになる、そう思えた。しかも、中学に入ってしまえば、そんなに学歴コンプレックスが刺激されることもなかった。たまに、部活の大会で落ちた学校の制服を見る時に胸が痛むだけだった。

 

高校受験はしなかった。中学時代は部活動が忙しかったこともあって、そのまま内部進学する気まんまんだった。ただ、クラスメートの何人かは高校受験をして抜けていった。今振り返れば、私も内部進学なんかせず高校受験をして学費の節約をすべきだった。

 

大学受験は、現役では全落ち。一浪時はセンター試験で引っかかった滑り止め校のみ合格。大学入学後、1年生で国立大学を受けて落ち、2年生で私立大学の編入試験を受けて落ちた。結局、私は出身校の普通コースの子にも推薦で蹴られるような大学が母校になる予定なのだ。最終学歴も塗り替えられなかった私の、残りの人生とは…?という感じ。人生100年時代と考えれば、残り80年弱もある。序盤で躓いたので、あまりに余生が長くて辛い。

 

昨年の夏、一応企業のインターンサイトに登録したとき、出身中高を聞かれることがあった。卒業した中学・高校の名称、現在通っている大学、これらを入力するたびに、自分の人生の失敗を振り返っているようでとても辛かった。

 

自分より、上位の大学に通っている人には勝てない気がする。小学校の頃、(人よりできないことが色々ある中で)人より少し秀でていたものが勉強だった。それが無くなってしまった今、私に残る価値ってなにがあるんだろう。どうすれば、社会で必要とされることができるんだろう。しかも恐ろしいのが、これでも親に課金されてきた、ということだ。家が貧乏でまともな教育を受けられなかったのなら仕方ないのかもしれないけど、私は違う。なのに、こんな出来。

 

一方で、学歴とは関係なく、すごい人はすごいのも分かっている。中高の同級生だって、良い大学に進学した人もいる。隣の席だったあの子はT大に進んだし、最初に席が隣だった子はTK大。6年間クラスメートだった子はKO大。みんな現役で進学していった。大学だって、Twitterで見る限り精力的に活動して、なんか輝いている人がいることも知っている。入った環境で、それを最大限に活用する、それが正しいのだということも分かっている。また、卒業した中高だって、今いる大学だって、それなりに歴史があって、たくさんの卒業生がいて、みんな社会で働いている。だから、学歴コンプレックスということ自体、失礼なのかもしれないな、とも思う。

 

でも、抜け出せない。正直苦しいな、と思う。どうやったら「受験(人生)の敗北者」という意識をなくせるのだろう。できれば、通っている大学の名前を胸張って言えるようになりたい。卒業式の日には、「この大学が、私の母校です」と自信満々に言えたらいいな。