メンタル弱い浪人生の話(浪人失敗談)

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巷に合格体験談は溢れているが、不合格体験記はそうないので、ここに残しておく。

私は、高校卒業後、2018年3月6日、河合塾T校の国立大理系コースに入った。その後は、第一志望の国立大のみならず私立大の一般受験に全落ちし、センター試験で唯一拾ってくれた私立大学に入学。2020年4月からその大学の2年生に進級する。

 

 

入塾時の私の学力

全日制高校を卒業するのに精いっぱいで、受験勉強を高3の一年間放置。そのため、以下のような悲惨な状況からスタート。

英語 センター8割程度。読解は得意だが、文法はぐちゃぐちゃ。問題を何となく勘で解いていた。

数学 高校3年の評定は10段階中の3。数学Ⅲどころか、数学ⅠA・ⅡBともにあやふや。

化学 数学と同じく、評定3。化学基礎から微妙に怪しい。

物理 高校時代は生物選択のため、高1の時に物理基礎を習って以来。全くの初学者。

国語と社会 もともと得意教科のため、勉強しなくてもそれなりに点数が取れる。

 

私が河合塾を選んだ理由

私の入塾候補は、河合塾駿台。(小規模予備校は、親が不許可)私の家から通える範囲には、河合塾S校とT校、駿台T校があった。3校とも見学に行き、そこで河合塾S校の方から、「あなたの志望校を考えると、S校ではなくT校の方が良い」と言われ、候補を河合塾T校と駿台T校に絞った。どちらも甲乙つけがたい感じではあったが、河合塾に入塾を決めた。理由としては、1.駿台は50分授業のため、授業のコマ数が多かったこと。2.駿台の方が授業の拘束時間が長かったこと。3.河合塾は自由席だったこと。が挙げられる。本来予備校を選ぶ観点とは別の観点での選択であるが、過敏性腸症候群と不安障害を抱えていて高校もなんとか卒業したような自分としては、自由度が高そうな河合塾に惹かれた。

 

浪人前期(3月~9月)

体調面

早めに浪人生活を始めよう!スタートダッシュが肝心、と考え自習室に通い始めた。個別ブース型の自習室と教室開放型の自習室があって、私は常に教室開放型を選んでいた。出入りが自由で開放的だったので、比較的落ち着けたのだ。3月の自習室は人も疎らで、席は選び放題だった。私は、外で食べると何故か吐き気がすごく、高校時代は昼食抜きで過ごしていた。けれど、河合塾では長時間学習に励むことになるので、吐き気に襲われる恐怖と戦いながらお昼を食べる練習をした。4月に授業が始まると、最初は緊張で本当に辛かった。発作が出たらすぐに教室を出られるように、朝は早めに行ってドアの近くの席を死守した。河合塾T校では、授業中に抜ける時は黙ってそっと行けばよいシステムだった。担当チューター(河合塾での担任)との顔合わせの面談前も、緊張から過敏性腸症候群が爆発してトイレから出られない状況だった。しかも、面談会場は個別ブースみたいな感じだったため、終始半分発作を起こした状態だった(チューターと夏の面談の時、「春の面談の時はひどく緊張していたね」と言われた)。言葉遣いが荒く大声で怒鳴るように話す先生の授業は、不安が強くなりすぎるためにパスしたが、それ以外の先生の授業には必ず出席した。最初は緊張で授業どころじゃなかったが、予備校に慣れるにつれて、授業に集中できるようになり、次第に高校時代の不調も改善していった。よって、遅刻欠席もほぼなしで通うことができた。

私がとったストレス対策

体調が改善傾向だったとはいえ、自分がストレスに弱いことは分かっていたため、ダウンすることが無いよう対策を練っていた。以下がその一例である。

  • 週に一日は勉強のことを忘れてゲームを楽しむ(スプラトゥーンとか^^)
  • 体調が悪い時に無理をしない
  • 朝8時半に登校し、授業を受け、夜7時半まで自習して、家に帰った後はゆっくりするという緩めのスケジュールを組む
  • たまには、河原や公園でお散歩

あと、私はドラマ「コード・ブルー」の大ファンであったため、トイレに行くついでに10分だけtwitterを見ていい、と決めて情報を追っていた。夏公開の劇場版の新情報を見るために、頑張って勉強していたのを思い出す。

 

学習面

授業で言われた通り、手帳でタスク管理をしながら、テキストの予復習+足りないところは参考書、をコツコツ続けていたら、成績も上がっていった。(時間的にはほぼテキストの予復習)夏の第二回マーク模試・秋の第三回記述模試で第一志望の国立(電農名繊)でA判定が出た。私大の第一志望(March)はB判定、第二志望以下(Marchや四工大)はA判定だった。成績が上がるのはもちろん、解けなかった問題が解けるようになるのが嬉しかった。チューターとの面談でも、「このままいけばたぶん大丈夫」と言われた。

 

浪人後期(10月~12月)

体調面

9月下旬、勉強に集中できないから、と出かけてお散歩している間に大きな発作を起こした。それ以来、模試で発作の前兆を感じるようになる、チュートリアル(昼休みを利用して行われる河合塾のHR)の時間に周りが食べているお弁当のにおいで気持ち悪くなる、などどこかおかしい状況が続いていた。けれど、とりあえず元気だったため、予備校に通い続けた。もちろん、勉強も続けていた。でも思い出すと、この頃から集中力の低下があったかもしれない。11月の頭の土曜日、普段通り自習しに向かったところ、また大きな発作を起こし、予備校の最寄り駅で動けなくなった。その次の日から、家の中以外では、不安感・吐き気・動悸などに襲われて常時体調不良を起こすようになり、家から出られなくなった。予備校に向かう途中で動けなくなって、通常なら10分で行ける場所を3時間かけて帰ったこともあった。引きこもり状態になり、予備校も行けなくなった。状況を確認するためのチューターからの電話も恐ろしすぎて出られなかったため、私が目を通す必要がある書類は、チューターが家に郵送してくれた。11月下旬、精神科を受診し、「パニック障害」と診断され、頓服薬として抗不安薬を処方された。人生で初めての精神薬だった。(高校時代は、社会不安障害と診断されていたが、薬は飲んでいなかった)12月には、薬を飲みながら必死でセンタープレを受けた。

学習面

こんな状況だったので、11月以降ほとんど勉強していなかった。勉強しないと将来の私が苦しむことが分かっていても、できなかった。それ以前に、あれだけ楽しみにしていた大学進学すらどうでも良くなっていた。

 

受験期(1月~3月)

体調面

食べられなくなって8キロ痩せ、不眠で睡眠リズムもおかしくなっていた。そのため、受験に挑む体調としては最悪だった。センター試験の前日には、家の中でも大きな発作を起こした。センター試験を受けるのをやめようか、真剣に悩んだ。センター試験の会場に下見に行くのすら緊張が強く、頓服薬を飲んでも死にそうな状態だった。不安過ぎて行く前に大泣きする程度には恐怖だった(ちなみに、その大学近辺はよく知っている場所だった)試験日以外は毎日ベッドに横たわっていて、「無」の状態だった。今振り返っても、まさに空白の数か月だった。

受験結果

国公立前期 不合格

国公立後期 不合格

私大第一志望 棄権

私大第二志望 不合格

私大第三志望 不合格

私大すべり止め 不合格

センター利用1 不合格

センター利用2 不合格

センター利用3 合格→今在学中の大学

このような結果に終わった。元気だった時に、私大の第三志望とセンター利用2は必ず押さえられるところを選んだのだが、どちらも18年から19年にかけて合格最低点が跳ね上がっていて落ちた。

 

受験を総括して

(受験終了直後。2019.3記述分)

進学先が決まってからは、情けないやら悔しいやら申し訳ないやらで毎日泣いている。浪人してこの大学、というのに絶望が止まらない。就職はどうなるのだろうか。というか、最終学歴が○○大学(進学先の大学名)は耐えられない、一生恥ずかしい。こういう結末を迎えた要因の一つは、11月に予備校に通えなくなった時に、志望校への熱意の不足から完全に心が折れてしまったことだと思う。もっと、自分の心に正直になって志望校を選べばよかった。メンタル弱い自覚がある受験生は本当に気を付けて。終盤で崩すとすべての努力が無駄になる。

(以下、1年生終了後。2020.4追加分)

絶望の春から季節は巡って、また春が来た。正直、進学先になじめたか、大学は楽しいかと聞かれると、何とも言えない。でも、工学部に入れて、関数電卓使って、レポート書いて、パソコン使って。講義は簡単すぎたり難しすぎたりであまり身にならないものもあるけど、実験や実習は新鮮で楽しいし、大学内にお気に入りの場所も見つけた。私大だから奇麗だし。そうこうするうちに、一年前に感じた絶望感は薄れてきた。受験には失敗したから、受験勉強としては無意味だったのかもしれないけど、その時学んだこと自体は無駄じゃないかな、と思えるようになった。また、メンタルの問題とは別に、自分の実力が合格ラインに達しなかったことを、素直に認められるようになった。今は、学部在学中はゆっくり今の大学で色々学んで、院でもう一回リベンジしてもいいかな、と考えている。

(以下、3年生終了後。2022.3追加分)

正直なところ、学歴コンプレックスは消えていない(どこの大学通っているの?と聞かれたくない。言ったところでたいてい知られていないし)し、いまだに大学受験の話題はざわざわして辛くなる。(カロリーメイトのCMとかも)たぶん、これは一生続くものなんだと思う。あと、入学当時不本意入学で腐っていたのとうつ病が酷すぎて、大学生活の基盤作りにつまずいたため、(コロナで大学に行かない時期が長いのも関係しているとは思うけど)いまだに自分の大学への所属意識がない。とはいえ3年も経つと、大学受験が完全に過去になる。まあ、同い年の子たちはこの春から社会人になるのだから当然なのだけどね。

(以下、大学生活を終えて。2023.9追加分)

4.5年(半年は休学期間だけど)の大学生活を終えた。結局、大学院も自大学の院を選んだ。理由としては「研究室が嫌いではない」「慣れない環境に適応するのが困難」など。学歴に関しては、だぶん就職活動をする中でまたコンプレックスに思う部分が出てくるのかもしれないな、とは思っている。とはいえ、現在は大学を卒業できたことを素直に喜べている。アルバイトを通した様々な経験・人生を楽に生きれるようになった精神疾患の治療・面白かった専門外の授業・結局得意にはならなかったけど好きなままな専門分野・学ぶことだらけの研究室生活。何もしなかった大学生活に見えて、実際はいろいろ経験してきたらしい、頑張った。ただ、入学時の精神状態のせいで、学内の面白そうな団体に所属できなかったのが心残り。今のところは、自大学進学は間違ってなかった、そう思えている。