中学受験体験記1~中学受験の始まり~

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どこにでもいる小学生の私


私は、東京の郊外に育ち、公立の小学校に通い、中学受験をして失敗。滑り止めの私立の中高一貫校に進学した。

 

両親

母は、小中高すべて公立、父は小中高すべて私立である。しかも、2人の母校は真逆と言ってよく、母の当時住んでいた地域の学校は荒れ気味で、父の通っていた学校は中学受験をした人なら知らないものはいない有名進学校である。そのため、母は私立の良さを全く理解しておらず、父は公教育に対する不信感が強い。このことは、中学受験を始めた時から大きな影響を及ぼすことになった。

 

公立小時代

私は先生に恵まれた影響もあって、とても良い小学校生活を過ごしたと思う。郊外だからか、学校が広大な敷地を持っていて、豊かな自然の中でのびのび過ごせたのは今考えても良い経験だった。隣の中学校は成績が良い子が集まるので内申が厳しいと有名だったし、学区域を考えても、経済的に苦しくない家の子が集まる小学校だったと思う。知っている範囲でも、優秀な大学に進学した子がとても多い(私以外、みんな現役でMarch以上)こともそれを裏付けている。

 

中学受験の始まり

たぶん、父は、私が小さいころから、公教育にお世話になるのは小学校までで、その後は私学に入れるつもりだったのだと思う。ただ、そんなことは私も母も全く知る由もなかった。大手塾Nに入る前の私は、学校の成績が良かったこともありその頃できたばかりだった公立の中高一貫校を受けようかな、とベネッセの教材をやっているくらいで、あとは同級生と遊んだり習い事の練習をしたり、と中学受験なんて全く意識していなかった。しかし、小学5年の冬、突如中学受験の世界に飛び込むこととなった。きっかけはあまり覚えていない。おそらく父から何らかの働きかけがあったのだろうと思うのだけれど。ただ、NとYの入塾テストと体験授業を受けて、気づいたらあの真っ青なバックを背負っていた。あとから聞いたところによると、この時母は、地元の塾で「こんな時期から中学受験をしようなんて正気じゃない。家庭崩壊を招きかねない」と言われていたらしい。よくNはこんな時期の入塾を受け入れたと思う。(しかも、志望校は最難関A校。今ならその無謀さが良くわかる)私の通っていたNのクラスは3つあり、私は入塾テストで真ん中のクラスに入った。とはいえ、私はクラスの最下位。なぜ分かったのかというと、この塾は毎週末のテストの成績で座る席が変動する。つまり、どの子がクラスでどの位置にいるのか一目瞭然のシステムだった。小学校では常にテスト満点、たいへんよいが多い「あゆみ」を見慣れていた私にとって、カルチャーショックだった。今考えると、早い子は4年生になる年の2月から、遅い子でも5年生になる年の2月から勉強しているのだから当たり前なのだけど。