私の場合、一応受かったけれど、祝福も喜びも何もない合格だった。「いい中学に行ければ」で中学受験生活を乗り切った母にとって、この不合格は精神的ダメージがとても大きかったらしい。この一年間ちょっと、家族としても色々なものを犠牲にし、さらに百万円を優に超えるお金が飛んで行った、そんな中学受験の結果がD校だったのを受け止めきれなかったのだと思う。正直なところ、私より母の方が当時も今も消えない傷として中学受験の失敗を引きずっている。父には、「言うことを素直に聞かなかったからだ」と言われた。私としては、当時は何も感じなかった。もともと志望校に熱い想いは無かったからだ。ただ、今は、古傷が痛む感じで色々感じるものがある。直接落ちたことを責められたことは無いけれど、会話の中で間接的に責められている気持ちになることは結構ある。落ちて申し訳ない、とも思う。
塾の同じクラスの人は、最上位クラスだけあって成功した人が多かったらしい。私は、落ちてしまったので塾の合格祝賀会もお里帰りも行けなかったため、中学受験が終わった後は誰とも連絡を取っていない。しかし、私と同じくB校を志望していた子と偶然会ったことがある。その時に聞いたところによると、その子はもちろんB校に受かったし、塾でも特別頭が良かった子はもちろん筑駒に受かったし、中にはJGに受かったのに蹴って公立の中高一貫校に進んだ子すらいるらしかった。そのうちの何人かは、6年後の東大合格者の中に名前があった。
上では、成功例の話をしているが、一般的には中学受験は厳しい戦いだと思う。私の周りでも志望校に行けた子は半分くらいだろうか。その他は、みんな受かった学校に行くか、公立に行って高校受験でのリベンジにかけている。ただ、私はこんな感じだけど、中学受験に失敗しても、その後は楽しそうにしているケースを狭い交友関係の中でも複数知っているので、それを紹介しようと思う。
A.公立中進学
出木杉君(仮名)は、第一志望校に落ちて、別の難関校は蹴って公立中に進学を決めた。中学の入学式で代表者になり、眼鏡をコンタクトに変えたこともあり大変モテたらしい。スポーツが得意だったことも関係あるのかもしれない。さらに高校受験で中学受験のリベンジに成功したと聞いた。そこはW大の附属だから、今頃W大生なのだろう。
のっぽ君(仮名)は、中学受験に落ちたあと、もともとやっていたスポーツをさらに頑張りながら中学生活を過ごし、高校は進学校に合格したらしい。高校生になってからTwitterでつながった時は、そのスポーツに打ち込みながら楽しい日々を送っているように見えた。ある日向こうにブロックされたので、その後は分からないけれど。
B.私立中進学
チアちゃん(仮名)は、入学してからしばらくは落ちた学校のことを引きずっていたけれど、そのうちに通っている学校で仲の良い友達もでき、部活にも熱心に取り組み、成績も学年で上位を保ったまま6年間過ごし、大学は現役でW大に進学した。この子とは、中高6年間よく顔を合わせたけれど、とても充実した学校生活を送っているようだった。
中学受験を体験して10年近くたって思うこと
私は、Nでの学びは価値があったとは思う。塾の先生は途中入塾の私をよく気にかけてくれた。学ぶ楽しさも知った。先生に教えてもらった中で、ずっと役立っている知識もある。しかし、中学受験をしたことやその後のD校進学は正しかったとは言えないと思う。後悔は挙げればきりがないし、未だに引きずっている。中学受験ができるのは、
- 経済的にだいぶ余裕がある
- 両親が同じベクトルで中学受験に向き合うことができている
- 子供の精神的成長が早く、自分自身で中学受験に向き合うことができる or
- 親が子供の成長段階に見合った適切な受験計画を立てられる
家庭だけだと思う。そうじゃないと、その場ではなんの問題が無かったとしても、その後に様々な問題が出てくると思う。実際、私の家も色々あった。それは、また機会があれば書こうと思う。