会食恐怖症の私がありがたかったこと

私は、会食恐怖症である(現在も治っていない)。そんな私がありがたかった行為を記述することとする。

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みんなと一緒に、おいしく楽しく食べたかった...

 

小学校の担任の先生

私の担任の先生方は、完食強制をしなかった。また、食べられない子を昼休みまで食べさせる、とか全員が食べ終わった班から昼休み、とかもなかった。これは本当にありがたかった。もし上記の行為があれば、私は小学校で不登校になっていたかもしれない。先生方がこのようなことをしないでいてくれたおかげで、私は小学校でたくさんの思い出を作ることができた。

目の前にある料理は、たくさんの人の手を通っていること・食べ物は、動植物の命を頂いていること。だから、目の前に出された料理は、残さず頂かなければならない、ということ。全て正しいと思うし、完食指導される先生方にもそれぞれの信念があるのだと思う。でも、上のことを理解していても、アレルギーじゃなくても食べるのが難しい子がいることを、どうか心において頂きたいな、と思う。ちなみに私は、幼少期、親から厳しめの好き嫌い撲滅教育を受けていた。食事を食べられないと、食事が終わらない・外に出される・食事が抜きになる、などがあった。それでも今の私は、会食恐怖を引きずっているし、食べられないものは食べられないままである。

 

高校の家庭科の先生

小中高生の会食恐怖の子たちで、一番学習に支障が出るのは調理実習ではないだろうか。私の場合、養護の先生から家庭科の先生へ通達してもらったほか、自分でも話に行った。事情を伝えた家庭科の先生は、「私が以前担当していた生徒にもそんな症状の子いたわ。無理せず調理だけ参加してね」と言ってくれた。これは、本当に嬉しかった。そのため、私は調理は同級生と一緒に行い、同級生が試食している間は調理器具の洗いものをしていた。同級生にはいろいろ聞かれたけど、適当にごまかした。私が洗い物をしていると手伝ってくれる優しい先生だった。本当は調理やその前の調理実習教育だけで症状が出て辛い時もあった。でも、なんとか参加できた。これはたぶん、先生の理解があったおかげだ。お菓子を作った時は、袋に入れて家に持ち帰った。調理実習を乗り越えた私が誇らしく、しみじみ美味しかった。

 

私は、基本的に先生という存在に恵まれてきた。だから、精神的におかしい状態を繰り返しながらも高校まで卒業でき、大学に進学できた。本当に、関わっていただいた先生方には感謝申し上げたいと思う。